沿革

コトブキの歴史

2016年に創立100年を迎えたコトブキは、いつの時代も自らの経験を活かし、新しい発想へと変えてきました。そして社会の変化と共に、さまざまな製品を生み出してきました。それが、これまで歩みを止めずに進み続けることができた理由です。私たちの姿勢はこれからも変わりません。"未来を見つめる百年企業"として、モノづくりの先にある人々の幸せなシーンを創造し、明日も新たなタウンスケープをつくります。

1914(大正3年) 東京 数寄屋橋で創業。グラスラッグ(Grass Rug)という敷物の販売、及び中国天津製絨毯の輸入販売を始める。
創業者深澤幸也が、東京銀座数寄屋橋にて敷物と家具の輸入販売をスタートさせる。世の中が西洋化していく中で、ルイ王朝式家具が人気となる。イスの需要が高まる一方で、輸入のイスでは追いつかず、国産のイスの製造が急務となった。
1916(大正5年) 法人企業「寿商店」創立
1919(大正8年) 合資会社寿商店を設立。東京市芝区(現・港区)にショールームを開設。
1925(大正14年) 連結椅子を開発。東京帝国大学安田講堂へ納入。
耐久性のある家具を目指し、木と金属をコンビネートした連結イスを開発。日本最初の金属椅子第一号が誕生し、東京大学安田講堂へ納入された。1990年の改修時には、奇跡的に保存されていた大正当時の図面をもとに復元され、布地の張替えをしながら現在も使われ続けている。
1929(昭和4年) 日比谷公会堂が完成。連結椅子を納入。当時、上張りは全て牛皮を使用。
1957(昭和32年) ショールームを東京銀座スキヤ橋ショッピングセンターに新設。
1960(昭和35年) 柳宗理氏デザインによるFRPイス(FRP-2500)が第12回ミラノ・トリエンナーレに出展。
1964(昭和39年) FRP製品が脚光を浴び、東京オリンピック諸施設(S39)、新幹線関連施設(S38)に多数採用される。
1970(昭和45年) EXPO'70日本万国博覧会(大阪)でFRP製品などが多数採用される。
東京都港区浜松町にショールームを開設。
大阪万博のシンボルタワー、岡本太郎氏の「太陽の塔」の"顔"の部分をつくったのはコトブキだった。他にもFRPの製造技術を活かして、さまざまなものを製作。各会場のイス、ベンチ、はもちろん、万博ならではの「人間洗濯機」なるものも。万博での仕事は、これまでのイスの専門メーカーとしての当社の立場を大きく変えることになった。
1971(昭和46年) 横浜市営地下鉄にFRP製キオスクやストリートファニチャーを納入。
1973(昭和48年) タウンスケープ事業の基礎となるストリートファニチャーショーを東京と大阪で開催。
社名を「株式会社コトブキ」と改称。
1975(昭和50年) 沖縄国際海洋博覧会においてシェルター、ベンチなど各種ストリートファニチャーを多数納入。
1979(昭和54年) 多摩ニュータウンセンター地区サイン整備を手掛ける。これをきっかけにサインの規格製品開発を始める。
子どものための新しい遊具を開発。
東京の人口1200万人。そのベッドタウンとして計画された多摩ニュータウンは、当時の人々の理想とする生活空間を実現したもの。自然発生的にできたこれまでの街とは、全く違う発想が必要だった。そのひとつがサイン計画である。これを機にサインの製品開発がはじまった。
1980(昭和55年) サイン規格製品「ベーシックコア」発表。
多摩ニュータウン整備から2年、サインとしては初の規格製品が誕生した。各種サイズ、形状を規格としてラインナップすることで、サイン計画を統一して、総合的・効率的に行うことができるようになった。現在では「ファミリア」とシリーズ名を変え、屋外サインの定番商品として、ロングセラーを続けている。
1982(昭和57年) 初めてのサイン専門カタログでは、アウトサインに加えてインサインも掲載。
サインではアウトサインに加え、インサインも掲載された初めてのコミュニティサイン専用カタログを発行。インサインのシリーズに「コア」が登場した。
1983(昭和58年) 栃木県塩谷郡に栃木工場(タウンスケープ関連工場)を建設。
コミュニティ遊具では、複合遊具のウッドステーション、フィットネスを目的としたヘルスビートとストリートアスレチックスが発表された。
1985(昭和60年) 国際科学技術博覧会つくばEXPO'85の各施設にストリートファニチャーを納入。
1986(昭和61年) サントリーホールに音楽専用のホールイスを納入。
クラシック専用ホールとして誕生したサントリーホールは、日本初のワインヤード形式の客席で、ステージを中心としてどこの席からでも演奏家が間近に臨める座席レイアウトが可能。音響効果は椅子の設計においても追及され、残響時間2.1秒(満席時・中音域)という理想的な環境を実現した。
1988(昭和63年) 東京ドームにタンデムシート納入。
1989(平成元年) 「横浜博覧会YES'89」アウトサイン、ストリートファニチャー、タンデムシート、連結イスを納入。
横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念し、横浜みなとみらい21地区で開催された博覧会。ストリートファニチャーだけでなく、サイン設計を担当し、会場を彩る役割も果たした。
1991(平成3年) コミュニティサイン計画では、新宿副都心周辺や広大な敷地を案内する「みなとみらい21地区」に参加する。
1992(平成4年) 東京都港区浜松町にD.I.Center新築。
1996(平成8年) 藤野むくどり公園にユニバーサル遊具を納入。
藤野むくどり公園は、「障害のあるなしに関わらず、両者の間にある見えない壁を取り払って、みんなが一緒に遊べる公園」というコンセプトのもの作られた全国的にも珍しいバリアフリーパーク。市民参加のワークショップにコトブキも参加しながら、市民から出たさまざまなアイデアを実現した。
1997(平成9年) 大阪ドーム、ナゴヤドームにスタジアム椅子を納入。
植物を根付かせる製品群「VINET(ヴィネット)」発売。
1998(平成10年) オリジナル複合遊具「プレイポート」を発表。
2000(平成12年) 阪神淡路大震災(1995年)により、日本中で防災意識が高まり、防災公園が強化されるにあたって、コトブキでは、いち早く防災ファニチュアを開発し、パンフレットを発行。
2002(平成14年) 住民参加型街づくり「鬼のみち・川のみち」にサイン納入。
瓦の街である高浜市では、市民参加によって「鬼のみち・川のみち」の整備が行われた。市内の瓦を見て歩けるウォーキングトレイルとなっている。各所に設置された案内サインは、本体の上に屋根瓦が載り、足元には地元の鬼師が作った鬼瓦がはめ込まれている。
2003(平成15年) 次世代の子どもたちへ向けた新しい遊具ブランド「ゲンキーズ」を発表。
2004(平成16年) 東京都千代田区神田駿河台に本社を移転。
2005(平成17年) 建築との調和をテーマにしたシステムサイン「アスタリスク」を開発。*翌年SDA賞、グッドデザイン賞を受賞。
2006(平成18年) ガーデンファニチュアブランド「LOCA」立ち上げ。
エルフィットに続き、ゲーム感覚で健康効果が得られるエルウェルを掲載した健康器具の専門パンフレット「円熟世代の屋外健康器具」を発行。
2007(平成19年) アウトテリアファニチュアブランド「COZY&COZY」立ち上げ。
2008(平成20年) 新スタンダードベンチ「f-line(エフライン)」を発表。
2009(平成21年) 明治神宮外苑にこにこパークに大型複合遊具を納入。
サインに関わるデザイン・設計・印刷全般を行う株式会社ジースタジオをグループにし、さらに、公園施設のメンテナンスを専門とする株式会社コトブキタウンスケープサービスを設立。
豊かな緑に囲まれた、神宮外苑の児童遊園がリニューアルされた。柵で囲われた広い遊び場の中に、幅広い年齢の子どもたちが生長にあわせて遊べるよう、さまざまなタイプの遊具がレイアウトされた。床はゴムチップで舗装され、安全に配慮しながらも、都会の真ん中で思い切り体を動かすことのできる遊び場となった。
2010(平成22年) タウンスケープ事業を中心とした「株式会社コトブキ」と劇場椅子等の屋内家具を中心とした「コトブキシーティング株式会社」に分社化。
奈良遷都1300年記念事業で、市内の観光サインを整備。
2011(平成23年) 台湾国内でランドスケープ製品の販売を行う新会社「台湾コトブキ・ランドスケープ株式会社」を設立。
「デザイン性の高いムービング遊具「クップル」「ハッピー」「ホッパー」を発売。翌年の第6回キッズデザイン賞「子どもの未来デザイン クリエイティブ部門」入賞。
2013(平成25年) 子育てを応援する幼児向け遊具シリーズ「チイコム」を発売。
2014(平成26年) 東京都港区浜松町に本社を移転。
株式会社コトラボを設立。
福島県南会津郡下郷町に福島工場を設立。

みんなの公園プロジェクトの実施。

公園情報アプリ「PARKFUL」をリリース。(株式会社コトラボ)
2015(平成27年) 仙台市で開催された第三回 国連防災世界会議にて、パブリックフォーラム「防災3.0 安全で賑やかな自律循環型地域社会を目指して」を主催。

イベント紹介ページ

2016(平成28年) 8月5日、創立100周年を迎える。

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